| チャンキー松本くんへ、西田俊也「最初の手紙」
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元気ですか。チャンキー。
五月の終わりに『カナカナ』でやった長谷川洋子さんの個展を見に来てくれたとき『めしあがれ』でいっしょにご飯を食べて以来ですね。
あのときぼくは長編小説を書いている真っ最中だったので、日常から遊離しすぎていてちょっと人に会う感じではなかったのですが、チャンキーが相手だと、次第に歯車が噛み合い、いつものように話が弾んで、三時間か四時間、ものすごくいっぱい、それも有意義な話をしたことを覚えています。
それから三ヶ月が過ぎて季節は暦の上では秋です。今年の夏はとても暑く、その頃に較べると、だいぶマシになっているとはいえ、まだ街にでると強い冷房がいつもついていますね。それでも確実に夏が終わっていることを自然はちゃんと知っているのか、ぼくの部屋では日暮れとともに虫の音が静かに聞こえてきます。
さて、ぼくらの会話の空白を埋めるように、過ぎた夏のことについて思いを巡らせていると思いつくことは、ひとつあり、またぼくとチャンキーの日頃のおしゃべりの話題からいっても、河合隼雄さんが旅立たれたことに触れることになるのでしょう。
ぼくはある人の口から、河合さんの訃報を耳にしました。そこに至るまでの話を書きます。
ぼくとチャンキーは一年に数度しか会いませんが、先のように話しだすと夢中になり、ときには十時間以上、場所を変えながらも、延々と話し続ける関係です。
ふたりは郷里も違うし、年齢も違うし、学校も違うし、主たる仕事も違う。出会ったきっかけはともに作詞家として関わったモダンチョキチョキズの矢倉さんによる紹介で、さらに共通点といえば、好きな音楽がちょっと似ていたというところなのだろうと思います。
でも同じような音楽を好む人とそれほどたくさん話すかというと、そうならないし、またいまもふたりで音楽の話題はしますが、最近どんなの聞いてるのといった近況報告がわりのような触れ方で、深まることもありません。ぼくらはなぜ、これほど話す仲なのでしょうね。
去年の夏、ぼくはチャンキーに、高野山である河合さんの講演とフルートの演奏会にいっしょにいかないかと誘ったのでした。でもそのタイトル「大人の夏休み」という催しは開催されることがありませんでした。あのとき河合さんが病気で倒れられてなかったら……、ぼくらは夏の夜、高野山で河合さんの話と演奏に触れて、帰りの車中でどんな話をしたのでしょうか。そしてそれから一年が経ったいまはなにを話して、また考えていたのでしょうか。
河合さんが旅立たれたということは、その点だけでもぼくらにとって大きなことだったのではないかと思います。
数年前にチャンキーがブログなどで河合さんの本を読んでいるという文にぼくは触れたことや、ある偶然のきっかけもあって(そのことも機会があればいつか書きたいとも思いますが、いまのぼくの気持ちでは触れずにおいておきます。そこにもチャンキーとの交流が関係しているのですが)河合さんの本を久しぶりに手に取ったのでした。
河合さんの本は以前から読んでいたし、友人が河合さんの息子さんと同級生であったりしたこと、ぼくと同じ奈良にお住まいであったこと、講演を聞きにいったことがあること、また偶然ながら河合さんのうちにあった何冊かの本をぼくがもらい受けたりしたこともあり、遠い存在ではありませんでした。
チャンキーがなぜひきつけられるのかという興味から始まった読書で、河合さんとその後ろにあるユング心理学が語る、「創造する病」「人生をクリエイトするためのそれぞれの物語」「矛盾した思考を抱えながら生きていくことといったこと」などなどに、これまで自分が漠然
と考えたり思っていたことに言葉や指針を与えてもらう体験となりました。
ぼくとチャンキーは出会ってしばらくした頃は、どうやったら売れるのか、どうしたら多くの人に自分たちのものを見たり読んだりして喜んでもらえるのかということを、よく語っていたと思い出します。
簡単にいうと、その成功とは、いまの自分のやっている創作活動で、たくさんのお金を手に入れて人気者になり、自分のやりたいと思う仕事を自由に好きにたくんさんこなしていくといったことだったのではないかとぼくは思うのですが、河合さんの本を読んでいるうちに、どうやらそれは自分が考えだしたのでなく、生まれた時代に主流となっている流行りの物語のひとつにしか過ぎないのではないかということに心の深いところで気づかされたのでした。
ぼくが小説を書いて物語をつくるように、ぼく自身の人生さえも自分で考えた物語としてつくっていかなければならない。いや、むしろ大切なのは小説よりもそっちの創造なのではないか。
そのためにはまずぼく自身が変わらなければならないし、また関係する相手のことをよく見て、自分の周波数を相手に押しつけるのでなく、相手にあわせながら、自分の周波数も調整していくというような姿勢を持たなければならないのではないか。
そういったことをともに確認し合った上で会話をしたわけではないのだけれど、ぼくとチャンキーの会話は徐々に変化をしていったように思います。
ぼくは何度か河合さんの講演などに足を運んだあと、まだ河合さんの話を直接聞いていないチャンキーを誘い、きっかけをつくってくれたお礼という意味合いも含めて、『大人の夏休み』にいっしょにいこうとしていたのですね。ところがそのほとんど数日後、ぼくはいつものように朝起きて、インターネットを立ち上げて、メールを拾い、ニュースを見て驚愕としました。
その頃からテレビを見ることがなくなりつつあったので、ニュースを知ったのは河合さんが倒れられた翌日のことでした。病状はかなり重いとわかっていましたので、ぼくはいつ最悪の状況がやって来るのか落ち着かず、車で入院中の病院までいき、建物のなかにいる河合さんの一刻も早い回復に思いを馳せました。
このことは以前チャンキーに送ったメールでも書いたかと思います。 |
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そのあとぼくは吉野まで車を走らせて、ある温泉にいきました。その温泉にいこうとしたわけでなく、たまたま走り着いた先がそこだってのです。
ロビーにいると大きな声が聞こえてくる。最初はひたすら耳障りだったのですが、なかなか終わらない。聞いていると、どうやらふたりのおばさんが、ホテルマンに部屋に忘れ物をしたのだけれど、見つからないかとかけあっている様子。とても大切なものらしい。おばさんはここにあるに違いないというのだけれど、ホテルマンは客室係からは報告を受けていないと困っている。ぼくはソファーで新聞を見ていて、河合さんが病院に運び込まれたという記事を読んでいた。人が生きるか死ぬかといってるときに、自分の忘れ物のことで相手を責めている姿を見ていて、ぼくはうんざりとしていました。
しばらくして風呂にいくため、そのフロアに向かうと、さっきのおばさんたちが廊下にいる。またイヤなところであったなと無視して通り過ぎると、あったと大きな声が響いた。おばさんたちはロッカーの前で、飛び上がって抱き合いながら喜んでいる。どうやらロッカーのなかに置き忘れていたものがあったらしい。たぶん指輪だったのではないかと思います。高価であったり、思い出があったりするのだろうか。おばさんたちが喜ぶのを見て、ほっと気持ちが安らいだようになり、温泉に入らなくても、体が少しあたたかくなりました。ぼくの家から三時間ほど離れているところまでやって来たのですが、ぼくはここまでの道のりが意味のあることだったようにそのとき思いました。世界がたったひとつの出来事で崩壊するような危機にさらされているときにでも、別の物語がちゃんとあり、その物語はもうひとつの物語とは無関係であるようでいて、どこかでつながっているというのでしょう。
それから十一ヶ月後、ちょうど夏休みが始まる直前に河合さんは旅支度をすませられたのか、旅立たれました。
ぼくが知ったのは倒れられたときと同じようにその翌日だったのですが、その日、ぼくは河合さんが倒れられて以来久しぶりに吉野まで車ででていたのですね。今回はただのドライブで、ひとりでふらりとでかけていたわけです。ちょうど逝かれた頃に写真を撮っていてそのときの景色も残っています。雨のよく降る梅雨だったので、たっぷりの水をたたえた川と橋が写っています。しかしその道の向こうは崖崩れで通行不能のため、ぼくは仕方なく引き返したのです。そのときに記念として撮ったのでした。
ぼくはインターネットで飛び込んできた河合さんのニュースを見てしばらくしたのち、自分からマスメディアに近づいてニュースを見ることを意識的にやめていました。テレビ番組もコマーシャルも見ません。おそらくこれほど長くマスメディアの放送媒体や新聞から遠ざかったのは生まれて初めてなのかもしれません。いまはちょっとずつですが見ています。でもテレビは見ないようにしています。またそのことは話す機会があればとも思います。
そういう環境にいるわけですから、ニュースは誰かの口を通じてしか伝わってきません。
河合さんの訃報を知らせてくれたのは誰だったのかというと、吉野にいった翌日たまたま会った友人の口からでした。その人は河合さんの息子の同級生で幼なじみでした。「今日、河合さんの葬式があるかもしれんから、喪服を仕事場に持ってきた」とぼくに教えてくれたのです。ぼくはその日がついに来たのかととてもショックだったのですが、同時になんということかと、その知らせのあまりの偶然ぶりに驚き、面白いと思いました。なにか一連の物語のなかに自分がいるといったような。チャンキーなら、この感じはよくわかってくれるかと思います。すべては偶然なのだけど、並べてみると必然のように感じられるというか。
ぼくはとても大きな損失をいまも、これからも感じるけれど、このような考え方を自然にさせてくれるヒントと勇気をくれたのが河合さんだったことに感謝の気持ちを新たにします。
河合さんのお別れの会は、夏休みが終わり、新しい学期が始まるときにありましたね。ぼくはチャンキーを誘おうかと思い、だいぶ迷いましたが、出席する気持ちそのものになれませんでした。
ちょうど『大人の夏休み』にいけなくなったときにぼくはメールで、ぼくらは河合さんから宿題をだされたのかもしれない、と書きましたね。チャンキーと出会って十年、何度かいっしょになにかしましょうといいながら、これまで手をつけられずに来ました。ぼくはこの手紙のやり取りがその最初の試みになるのではないかと思います。たまにあったら、長々と話し続けているその気持ちを元に、今度は手紙で、ちょっとしたギャラリーを意識しながら、でもあくまでも会話の相手はチャンキーということで、ぼくは言葉を交わしていこうと思っています。
一年はつづけられればいいなと思いますが、ここらあたりでやめましょうという気持ちが自然に生まれたら、そこで終わればいいかと思います。手紙の返事も、お互い時間もなくて、すぐにといかない場合もあるかと思います。ぼくの今度の誘いに対して、素直に書きますとチャンキーが書いていたように、ぼくも心がけていきたいと思いますし、また気持ちの遊びも忘れずにいたいとも思います。
どんな話ができるのか、とても楽しみです。高野山でぼくらが河合さんから聞けなかった言葉や、フルートの音色の変わりに、ぼくらは語ることを始めましょう。
それでは今日はこのへんで。虫の音が静かに聞こえてきます。近くに公園があるからなのですが、大阪の街の真ん中に住んでいるチャンキーの部屋にはどんな秋が訪れているのでしょうか。
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2007.9.10 西田俊也
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| ひとばん寝かせて明日にでも送ろうかと思ったけれど、日付を書いていて想起するのはやはり911であり、その前日に始めるということにもまた意味を感じて、今日送ることにします。 |