チャンキーの往復書簡です

西田俊也さまへ。まずは最初の手紙をありがとうございます。今回の往復書簡という形での西田さんとボクのコラボレーション、とても嬉しく感じています。 たま〜に会うとなぜか濃密な話しになるのが、おもしろくもあり、時に考えさせられたりもしますし、そんな関係がもう10年も続いていることにビックリしてしま いますね。

今年の夏は暑過ぎたし、長過ぎですね。こんな暑さのなかでは、ただ生きてるだけでもしんどいものですね。勝手に体力が落ちてゆきます。会社員の方で夏 にスーツ姿で街を歩くのを見ると、単純に「ごくろうさま!」と感じてしまいます。 もう熱帯地方のような日本の夏なのだから、ライフスタイルも変化しなきゃしんどい だろうな〜って感じますね。この10年間でいろんな変化がボクにもあるのです が、、、10年前の夏を思い出してみたりもしますね。

10年前のボクはとにかく「人気者になりたい」とか「売れたい」とか そんなことばかり考えていました。まあ〜それはそれで、年齢もあるし、世の中の小さな流れしか見えていなかったボクの精一杯の表現だったようにも感じます。その頃だと思うのですが、西田さんの車にのって東京へ2人で旅しましたよね。

男2人で新宿の片隅にある小さなホテルの1室で寝泊まりし、西田さんにはいろんな編集部や人に会わせて頂きましたね。夜はホテルでまたダラダラと話し たり、、あれからですかね、、ボクらが親密な話をできるようになったのは、、たしかあれも夏だったと思うのですが、、

あの時にお会いした絵本の編集をされていた女性が、数年前に旅行先で 地震による津波のせいでお亡くなりになったことを思い出しました。絵本のことなど なにも理解してなかったボクに彼女は丁寧に応対してくれました。お顔がボンヤリとしか浮かんできませんが、、彼女はもっともっと絵本を創りたかったことでしょうね、、

西田さんと出会うことによって、物語というものに興味が沸いてきまし た。当時のボクでは物語を書くことなどできるはずもありませんでした。漠然と絵本 が書けたら、、なんて甘ちゃんなボクでしたが、絵本はもうちょっと先で、まずはイラストレーターとして、表現者として、仕事をしていこう!と、、そのためにも、名前を知ってもらわなきゃ!と考えたのです。それが10年前のボクでした。30歳からデビューするような気分でした。

突然ですが、ボクには弟がいます。1歳半しか離れていない弟ですが、 ボクがこういうおもしろおかしな人生を歩んでいた頃、彼は我の心と戦っていまし た。心のバランスが取れなくなって、10年もの年月がたっていたのです。彼の20代 はまるで土砂降りの雨の中に立ってるようにも見えました。そんな中で、彼は大きな出会いをすることになります、、っというかその出会いがボクにとっても大きな出会いとなるわけですが、、弟はある先生のもとで箱庭療法という心理療法を受けていた のですが、その先生の師匠であり、箱庭療法の生みの親こそが河合隼雄さんだったの です。

弟はそのころ河合隼雄さんに1度だけお会いすることがありました。弟を見た河合さんは「あなたは5年後には治りますよ。」と予言のような言葉を話され たそうです。それがボクも河合隼雄さんという名前を知るキッカケになったのです。それからちょうど5年後に弟は見事社会復帰をはたすことができました。これも不思 議なことですが、今思えば、見通せる力というか、そういった能力が強い方だったのでしょうね。

「大人の夏休み」と題されたイベント、、なにげないこの言葉、、実は今のボクにとって大きな意味があるように感じています。40歳になったボクには、今 年の夏はまさに「大人の夏休み」というものでした。イラストの仕事もたいして無く、それでも週末になれば各地のイベントに呼ばれ、大阪以外の場所へ旅行気分に出掛けていきました。この10年間、イラストの仕事もそこそこ頂いて、名前だってそこそこですが知られたり、、それでも時期というか、数年前から自分が表現することに対して、今までとは違う想いを持ち始めているのです。
河合さんの本から気になった言葉「創造の病」、、これはある時期、とくに中年と呼ばれる時期に、ある種の病を経験し、病を克服する過程を通じて創造性を開花させること、、ですよね。ボクは思うのですが、この現代において誰もがある種の病を持っていると感じます。今日、阿部首相が辞任ということでテレビは賑わってはいますが、報道などを見ても、ボクらはある種の病に捕われているのではないか?と感じてしまうのです。その病とはなんでしょうか?

西田さんが書いている言葉「生まれた時代に主流になっている流行の物語のひとつにしか過ぎないのではないだろうか?」、、その病はこのあたりから匂ってくるものではないかと感じるのです。いかがでしょうか?それは誰もが生きていれば感じ合っていることですよね。ボクも十分にその匂いに飲み込まれていたように感じます。そしてボクもこの中年の時期にきて、やっとですが、河合隼雄さんの言葉がボクに届いてきたのでしょう。

誰もが変化して生きていますし、なんらかの物語の登場人物になっています。自分の想いとは裏腹なことや、思いもかけない所に自分の存在感があったり、、人は自分勝手に敏感だったり、鈍感だったりするわけですね。心というものはそんな勝手なものなのですね。だからこそ40年という人生の中で、心に自分勝手な癖が生まれるのですね。中年という時期になってその癖のようなものを感じているところです。できればバランスよくしたいので、癖を取りたいなあ〜とも感じていますが、

なかなかどうして、、バランスを取ることは難しいようです。河合隼雄さんの言葉からは心のバランスを取ることの大切さが書いてありますね。光と影、シリアスとユーモア、常識と非常識、、などなど、、真反対のことが1つになっている,共存していることこそが、人なのだということ、、共存してることを踏まえたうえで、バランスを取ること、、そういうことを河合さんの言葉から感じ取りました。ボクはここ最近、このバランスを取ることの難しさを痛感するのです。

きっと大人の夏休みとは癖のついた心や身体をほぐす時期のことだと考えます。この世界ではたしかに悲惨なことやむごい現実があるのでしょう。ボクはそれを知りません、、っていうか見てもないことを過剰に反応しすぎることはないと感じています。西田さんが言う、他人の周波数に合わせながら自分の周波数を調整しゆく、、それはバランスを取ることだと感じるのです。今回のこのコラボレーションもそのバランスを取る一環だとも感じるのですが、、いかがなものでしょうか?

河合さんが倒れてからお亡くなりになるまでの11ヶ月間、、ボクらには見えない場所でどんなお仕事をされていたのか?、、勝手ですが、興味があったりもします。11ヶ月の夢、、その時間でもしかしたら、大きな手助けを誰かになさったのでは、、?なんても感じるのです。っていうかこうしてボクら2人を今までとは違 う関係に押し上げてくれたでは、、って思うのです。それは河合さんが研究されていた、無意識の世界に通じるものだと思います。そこはボクらには見えない糸が見える世界かもしれない、、そんな想像したりもするのです。

西田さんの「小説を書いて物語をつくるように、僕自身の人生さえも自分で考えた物語としてつくっていかねば、、いや大切なのは、、むしろ小説よりもそっちの創造ではないか、、」とても素晴らしい言葉ですし、ボクも大きく頷きました。眼に見えることは、どんな些細なことも大切なことであり、注意して見たり、それを感じて、また拾い集めること我がの体験となるのでは、、その体験こそが自分のなかに溜まって、いずれ外に溢れ出す、、それがボクなりに感じる物語というものです。 温泉でのおばちゃんたちのエピソードも、河合さんの死も、どこかの国の光と影も、、繋がっているのは、、感じる私がいるから、、私がいなくなれば、それらは繋がることなく、夢うつつと遠い場所で彷徨うのです。

ボクは「11ヶ月の夢」という言葉を今度の個展のタイトルにしては?と昨日ですが思いつきました。まだ仮なのですが、これでイイかな?なんて思ってい ます。決まったらここで改めて報告させてもらいます。西田さんはあの長編がいよいよ完成なのでしょうね。楽しみにしています。あの話しも「大人の夏休み」のようなものですよね。きっと素晴らしい物語が出来上がることでしょうね。その物語が西田さんを今までとは違う場所へ連れていってくれるかもしれませんね。

ではこの往復書簡を続けていきましょう。ボクはとても楽しみにしています。今は夕暮れがやってきました。お昼に食べたカレーライスがまだお腹いっぱい膨れています。またいっしょに食べにいきましょうね。ではお仕事がんばってください。さようなら、


チャンキー松本