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| 西田さんへ、、二通目の手紙
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こんにちは、西田さん。9月半ばを過ぎても、なかなか心地イイ風は吹 いてきませんね。数日前に朝の9時頃、近所の大川沿いをジョギングしましたが、あ
いかわらず日差しが強いです。ジョギングは休み休み走っていますが、このところ身体のキレがどうもよくないようにも感じます。すぐに眠くなるしね、、なんせ早く涼しくなって欲しいものですが、、奈良の方は心地よい風は吹いているのでしょうか?もう1ヶ月ほど前になりますが、奈良の燈火祭を初めて見ました。友人と奥さんと3人で若草山の奥の森まで散歩してから、暗くなって灯りがともりだした道を歩きました。人のいない森には風が吹いていて、心地よい時間を過ごした後に、燈火された道を行き交う人たちと歩いていると、歩いている人なのに、なんだか樹のようにも見えてきて、、ゆらめく小さな灯のほうに魂を感じました。
大人の夏休み、、こないだも友達に「今、大人の夏休みを取ってるんだ」と話していました。大人になると「休む」ことがとても難しくなりますね。休みをとることは不安の種にすらなったりしますよね。定年まで一生休むことなく働く、、というのが大人なんだ、、と、どこかで植え付けられていますよね。「休み」イコール「ダメ」「おちこぼれ」「負け組」などなど、、これってなんでしょうね、、生きるスピードは人それぞれなのに、だからこそ人それぞれの物語が生まれるのに、、システムをまわすための幻想の力は、個人の中にドカドカ勝手に入ってきます。その力に負けないためにも「これ以上はイヤだ!」とラインを個人で決めることが必要だとも思います。「得」「タダ」「安い」ということもそのヅケヅケと入ってくるイイ顔した侵入者でもありますね。
そんな様々な顔をした侵入者に対しての防御策として、西田さんが書いてる「安いという言葉に不感症になる」、、この「安い」という言葉をいろいろ変えてみてもおもしろいですよね。「速い」とか「旨い」とか、、なんか牛丼屋みたいですが、、西田さんの言うところの不感症になることに関しては、ボクなりには「おくれる」「ズレる」と言葉に置き換えてみたりしました。今の時間軸から遅れる、、ズレる、、ぞくにいう世の時間、、曜日や電車の時間や、車のスピードや、、そういった時間軸からズレている時間を生きる、、まさにこのズレた時間こそが創作の時だとも言えますよね。
「大人の休み」についている、マイナス面の反対には、プラスの面として「自分の歩みをたしかめる」ということがあるはずです。それすらもマイナス面にされてしまうかもしれませんが、ボクはプラス面だと感じています。河合さんのカウンセラーとは「なにもしないことに全力を尽くす商売」と「大人の休み」の意味もど
こか繋がっているように感じます。
幼い頃たしかに、お母さんの財布にたまっていた市場の券、、貼りました!あとベルマーク?っていうやつとか、、貼ったり、集めたりした記憶があります。ささやかなサービスって可愛いよね。広告の原点のようなものですよね。広告業界というやつでメシを食べているボクですから、あまりにもキレイごとばかりでも駄目だとは感じますが、市場の券と、今のポイントカードはどこが違うのでしょうね。あるいは、お祭りなんかで、おっさんの操る人形をつい買ってしまう、、なんかインチキくさい商売には見えるけれども、あれはなんか許せたりもしますよね。それと「安さ」「タダ」を売りにしたものとの違い、、難しいものです。ここにも「ふたつよいことさてないものよ」があるのでしょうか。 |
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ちょっと堅い話しになるのですが、ボクが今、考えていたことに「シン ボル」というものがあります。国旗、十字、文字、記号、、デザインとはシンボルを創ることでもありますよね。例えば「白い卵」、、その形は自然から生まれたもので、人の手は加えられていませんが、その卵を見て、人は生命を感じないわけにはいけません。「卵」イコール「命」、、その共通の意識が人にはあるからこそ、その卵の形を活かした「デザインされたもの」にも、人は命を感じてしまうのです。そしてデザインに「命」を感じてもらう為に、あるシンボルが「卵の形をしたデザイン」になるのです。そのシンボルが卵のようにシンプルだからこそ、人は多くの意味や価値を付けてゆく、、、白い卵が、十字であるならば、そこに神を重ねるもの、光りを見るも
の、、、シンボルはいずれ自分をうつす鏡にもなる、、と大げさに考えてみたのです。
ですから、まだ「安い」や「タダ」「旨い」などで表現できる程度の広告やデザインなら可愛いものかもしれませんね。ときにシンボルの力は巨大になりますし、それは戦争などで見るところの「象徴」になるとやっかいですね。単一的で巨大な力を持つシンボル、デザイン、象徴は、、個人の物語を奪うことにもなります。個の物語こそが、この往復書簡の大切な肝だし、あらゆる物語の肝である、、そうですよね。河合さんが言う、誰もが自分の物語を生きることの大切さを知る必要がある、、その言葉の重さを感じるのです。
その河合さんの最期の「11ヶ月」を「究極の最期のカウンセリング」といった西田さんの言葉にボクも深く同意します。まさにボクもそう感じたからこそ、個展のタイトルを「十一かげつのゆめ」とさせてもらいました。あえてですが、言葉をひらがなにしてみたのです。そこには「かげ」と「ゆめ」がありますし、「プラス」と「マイナス」が見えます。おとつい描いたボクの絵は。暗闇に浮かぶ小さな卵と、その卵にむかって飛ぶ小さな鳥を描きました。中沢さんが河合さんの夢と対話する、、西田さんも、ボクも、河合さんの夢と対話している、、夢で、、無意識で、、繋がっている、、期待と予感がそこにはありますね。夢はあらゆる創造物のふるさと、、うわ〜〜〜〜〜!なんか凄いよね!!!このビックリマークは、感動のマークですよ。
「!」も「卵」も「○」も「十」も「−」も、、その夢からの贈り物ですね。ボクらは「河合さんの夢」というシンボルで繋がっています。対話するためのボクらの1つのシンボルを「河合さん」になってもらっていますね。ボクらの物語はどうなるのでしょうね。ホント楽しみです。さまざまなボクと、さまざまな西田さん、、そして読んでいただいている方がた、、それは、、時間や空間を超えた「夢」で繋がっています。
西田さん、またお返事楽しみに待っていますね。10月からボクはなにかと忙しくなるのですが、この往復書簡を1つの心のよりどころとして、続けてゆきますので、どうぞ宜しくお願いします。読んでくれるみなさまにも、、では今日はこのへんで、、
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チャンキー松本 |
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