チャンキー松本くんに西田俊也から三通目

 チャンキー、こんにちは。
 暑さ寒さも彼岸までという言葉通り、長かった夏もついに去りゆく日を決めてくれたのか、カーテンを揺らせて、しのぎやすい風が部屋に入ってきます。
 奈良は秋の行楽シーズンを迎え、全国からたくさんの人が来ることになるのでしょう。
 そうですか、燈花会に来たんですね。そして、炎のゆらめきに魂を感じたんですね。その様子、とてもわかります。
 あの行事は奈良の夏は暑いので、あまり観光客が来ないからなんとかしようという事情から最近始まったわけなんですが、そういう「大人の事情」を越えて、これからもずっとつづいてく予感のする素晴らしい行事ですね。

 それにしてもこの夏は暑かったというわけで、ぼくはノートパソコンを膝を立てた太ももに載せて使うスタイルを、ここ数年やっていることもあり、夏場は風邪を引いた猫を膝に二三匹抱いているような状態の熱さで、太ももにびっしりと汗をかいてしまって、たまらなかったのです。
 ぼくがいま仕事している場所はスペースの都合もあって、キッチンテーブルがある以外、机がひとつもないのです。多少狭くなるとしても、姿勢の問題も考えて、以前使っていたのを持ってくれば、椅子はちょっとがんばっていいのを買ったりしているので、とても快適に違いないわけなのです。でもこのスタイルがぼくにはいまのところなぜかとてもあっているようで、やめられずにいます。

 河合隼雄さんは後年、京都に自分の研究室もお持ちでしたが、それまで長らく仕事もされていた自宅のほうは、とても狭いものでした。初めてその存在に触れたときはとてもびっくりしました。でも、河合さんは「ぼくはあそこが好きなんですなあ」ときっと思っておられたのではないかなと勝手に想像しています。だから人にはそれぞれのスタイルがあっていいと思うのです。

 なんとなく無理やり河合さんの話に結びつけたというか、自分の言い訳を河合さんの言葉でパッチワークしたみたいですが、ぼくはあの方の質素な自宅を見たときの驚きがいまも忘れられなかったりします。
 あれだけの大人物で、著書もたくさんでているのだから、さぞかし大きな門構えのある立派なお屋敷に住まわれているのだろうと勝手に想像していただけに、初めてその前に立ったとき、大袈裟でなくこれまでの自分の考えがガラガラと音を立てて崩れていくような感じになりました。

 ぼくは78年に高校三年生になったんだけど、その年はどういう年だったかというと、矢沢永吉が『成り上がり』をだしてベストセラーになったときなんですね。そこで矢沢はキャロルで売れていたときもじつは小さなアパートに住んでいて、ガキを連れて銭湯にいってたとか話
していて、イメージとのギャップにへーっと驚いたわけです。
 で、翌年に、矢沢は初めての写真集をだして、そのなかに富士山の近くにある豪邸をさりげなく載せていたんですよ。その写真集がでたのは、所得番付で彼が芸能部門の一位になった発表の少しあとでした。
 ぼくはちょうど、高校から大学にいくときですから、そうか、こうならなきゃなと、まあ、単純に思ってしまったわけです。歌手になりたいわけでもないのにね。ただ、勉強もたいしたことない、お金もない、でも才能があれば成り上がれるんだというところでは自分も矢沢みたいになれるかもと思ったわけなんでしょう。
 河合さんの家を見たときの、ガラガラという音を立てた、その瓦礫は、矢沢の家がだったのかもしれません。矢沢の富士山の麓にあった豪邸はその後、見物人が頻繁に訪れたため、引越後解体されて、いまじゃアメリカにさらにでっかい豪邸となっているわけですけどね。

 当時河合さんの家を見ていたらどう思っていたのかなあ。ぼくの友達は河合さんの息子と同級生だったから、河合さんの家を知っているわけです。子供のとき、そこでいっしょに同級生と遊んだといってますから。
 矢沢の家に目を輝かせたあの頃、ぼくは河合隼雄さんのことは知らなかったわけだけど、機会があればその家を見ていたかもしれない。まあ見たところであのときのぼくにはなにもわからなかったでしょうが……。ちなみにぼくの友達は、河合隼雄さんのことを変人といってま
す。近くから見ているとそういうしかないんだろうなとぼくは聞いていて思います。そのくせ彼の本棚に、昨年でた河合さんの文庫本があるので、少しは興味を持っているんでしょうね。自分の同級生の親だから、また複雑なものがあるんだろうと想像します。

 ぼくは矢沢が鮮烈に成り上がった時代に強い影響を受けて生きてきたんでしょうね。
 チャンキーはぼくよりも七歳年下になるわけですが、どのような物語にやられてしまったのかなあ。

 十数年前にでた本に『河合隼雄その多様な世界』というのがあって、タイトルだけ見るとあまり触手が動かないお気楽な企画本に見えます。でもこれは河合さんが京都大学を退官されたあとに、ゆかりの人たちを招いて河合隼雄とはなにかをシンポジウムなどを通じて明らかにしようとした講演会の記録で、この中で河合さんが話していることは、読んだときもいまも遺言のように響いてくるほどの力を持ってぼくに届いてくるすごい本です。その部分についてはまたおいおい機会があればと思うので、これから書くことは違うところなんですけど。

 人の悩みということに河合さんは生涯をかけてつきあわれたわけですが、人は悩みを持つとそれをなんとかしたいと思うわけで、その悩みさえなくなれば、自分はどれだけすごいかと人はつねづね思うわけです。河合さんはそこで会場に来ている人にこういってるんですね。「それが治ったら、どんなすごいだろうと思うけれども、治ってもあまりすごくないです。(笑)人生というのはそのへんがおもしろいものですね。しかし、まあやったなという感じはあります」
 悩み事を聞く専門家にこういわれると、びっくりします。たしかな臨床経験からの実感なんでしょうね。
 また、かえって悩みがあったりしたほうが、自分がすごくないことがバレずにすむということもあるともいわれてます。例として幻聴がなくなるのはいいけど、かえって淋しくなる場合もあるんだとも。それよりもその状態とつきあっていったほうが、面白かったりするとも。

 ぼくの持つ悩みはなんだろうかと考えてみると、とりあえずお金さえあれば解決できるものではないかという気持ちがどうしたって拭いきれずに根強くあるように思います。カネじゃ解決できないとわかっていながら、金持ち喧嘩せずという言葉を長らく好む傾向にあったぼくは、お金の持つ力に抗いきれず信じていたりします。この世界、とくにいまは、大切なものといえば、「健康な」体、「感じる」心、そして「たくさんの」お金なんでしょう。もうひとついえば、「自分にとって都合のいい」他人ということになるでしょうか。
 でも河合さんがいうように、お金で解決したところで、「まあやったなという感じ」というくらいといわれたら、だいぶ違います。要するになにをしたって、悩みというやつは解決しないんです。悩みとういのは、悩ましき大切な友達とならなければならないのでしょう。
 たとえば、子供ができて家が狭くなってきたから、広い家にしよう。そうすればもっと家族関係はよくなるし、子供も勉強するようになるかもしれない。ということで、人は住宅をがんばって買うんでしょうけど、結果はどうかというと、かえって悪くなったりしているのがいっぱいあるわけですよね。そのへんの流行りに乗っかって、わたしもわたしもと家を買ったり住まいに幸せを求めていったら、うまくいく人もいたりするけど、あわない人だってでてきますよということなんだとぼくは思います。
 河合さんの小さな家はそのへんのことを教えてくれるようにぽつんと建っていたとぼくの目には映りました。

 でもものを売る側はそれじゃダメだから、いろんな誘い文句でぼくらのところに、チャンキーのいうように、侵入してきようとする。ほんとうに侵入だよなとその言葉を読んで感じ入りました。まったくずかずかと入り込んでくる。どうして侵入されるかというと、「安い」「便利」「速い」「快適」「お得」といった言葉は人の心を開く鍵だからなんでしょうね。もっといえば、この言葉にあるんじゃなくて、そういったことが提供されたら、あなたはいまよりもずっと心地よくなりますよという意味を奥に持っているからでしょうね。それはまたぼくらの心に情動となって訴えかけてきたりする。人間は情動を伴ってやってくるとなかなか抗いにくくなります。おそらくそれは「エロス」と関わっていたりするからじゃないかな。

 ぼくは日常的にはテレビを見ない生活をしているのですが、ときどき衛星放送の映画を録画して見るので、その操作をする際に仕方なく目に飛び込んできたりします。テレビにはきれいな女の人やかわいい子がたくさん映っていていつもびっくりします。しかもその人たちは、ただ美しいだけでなく、とても親しげにこちらに向かってやさしく語りかけてくるのです。窓を開けて外を見たってめったにお目にかかれないし、あんな風に親しげに話しかけてくる人もいないというのに。なんと簡単に見せてくれるのか、それも次から次へと。ぼくはちらっと見るたびに、こりゃ見始めたらやめられないなあと思いながら、関わったらエライ目にあうみたいな気持ちで切ります。
 ぼくの書いていることはものすごくアホなことのように見えますが、まったく見ないものの目にいまのテレビはそう見えてしまうのです。ぼくが不思議であるというよりも、その世界のほうが不思議なんじゃないかな。なんでこんな人たちが電源をつければ突然自分の家のなかにやってくるのだろうか。しかもまったくのタダで現れる。
 これはいままでとても当たり前のことのように思っていたことなんだけど、よくよく考えてみると、めちゃくちゃおかしいんじゃないかと思うのです。
 これほどまでにきれいな女の人やかわいい子やセクシーな人を見ていたら、その世界がたまらなく好きになるでしょう。彼女たちのいってることがとても素敵なものに映るでしょう。
 ぼくはテレビとともに育ってきた世代のひとりです。テレビをたくさん見て来ました。たくさんテレビから教わりました。もちろん徐々に他の分野にも目は映っていきました。でも基本はテレビなのかもしれません。
 ぼくの中からテレビを取ったらどれだけのものが残るのかなとも思います。ぼくの記憶の中にたくさんのテレビ体験があります。
 またなにかの機会があればぼくはテレビを見ることになるのでしょう。でもこの視点を持っているのと持ってないのとではこれからの接し方はずいぶん違ったようになるんじゃないかと思っています。
 ぼくはみんなもテレビを見ないようにしたら面白いことに気づくよと誘惑の声をあげたくなるのですが、それよりも先にテレビのほうがダメになっていってしまう気がします。ぼくのようなある意味ヘビーユーザーだった人間が気づき始めているというのはその傾向のあらわれだといいたくなるんです。最近の人はほとんどテレビを見なくなったといわれる日が数十年先にもう来ている気がします。

 ぼくはわかりやすくするため、テレビに映るきれいな女の人といういいかたをしましたけど、もちろんテレビにいるのは女の人だけではないのです。「エロス」という言葉は性的なものを連想させますが、それだけではないと思います。「エロス」は理屈を越えたところで、心を掴んでわくわくさせたりする力とぼくは考えています。ぼくらはこいつをどうすることもできなくて、付き合っていくしかないと思いますが、テレビは「エロス」をうまい具合にまとって、ぼくらの気をひこうと躍起になっているように見えます。

 チャンキーは「ズレる」「遅れる」といってましたね。その言葉、とてもよくわかります。自分でラインを決めるというのもね。じゃ、どうズレるか、遅れるかというときに、相手の時計に対して遅れたりズレたりするのでなく、自分の時計を持った結果、相手の時計からズレていかなきゃなと思います。
 ぼくの言葉にいいかえたら、ぼくは「安い」ものに出会ったりして、心が動いて、どうしようかとふらふら迷ってしまったときは、「安い」をいったんはずして、この中でいちばん欲しいものはどれかと考えて、それが「安い」ものであったら、買うけど、違っていたら、あっ、ぼくはこれが安いから欲しいのであって、ほんとうに欲しいものじゃないんだなと冷静になり、そこからどうするかを考えていくようにしています。それがつまり自分の時計ということなんだろうね。
 仕事についてもこのように考えていければどれだけいいかとも思いますね。いまはあまり引き受けたくないような仕事の依頼もないから冷静にいえるんだろうけど、自分の時計じゃ断れといってるのに、断り切れない局面があって、そのことでものすごく消耗することが起きます。きっとぼくの時計は長いスパンを持ってないからなんだろうね。どうしたら長いスパンになるのかなというヒントをぼくは徐々に掴みつつあるように思っているんだけど。「大人の夏休み」という提言に対して、どのように過ごして、その休みを終えるかということにもスパンの掴み方のヒントは隠されているように思います。子供の夏休みは期間は最初から決まっているけど、大人の夏休みにはないよね。休みは次の始まりがあるから休みなので、どこかで決めておかないといけない。その線は何度も変更したっていいとも思う。あるいは一日のなかに「大人の夏休み」といえるような時間を持つようにしてもいいんじゃないかな。

 手紙を書きだすと最初に書こうと思っていたこととまるで違うものがでてくるなと思います。今度の手紙も書きだす前に思っていたこととずいぶん違う展開になってきました。話すときも、書いてるときも、自分が話しているのに、自分が話し終えるまでいったいなにについて話すのかわかってないですね。あるいは話しているうちに心のなかでいろんな思いが動きだして、それについていくにつれてどんどん話は思わぬ方向にいってしまうのでしょう。話し終えて初めて、そうか、自分はそんなことを考えていたのかとわかったりするのですね。
 なぜ小説を書くのかとか、絵を描くのかとか、ぼくらは人から問われることがよくありますよね。ぼくは最近、自分がなにを思っているのかわかりたいから書くんだなと思います。それが会話でなく、物語という形であったり、絵であったりするんじゃないかな。なんとなくその先にいくと自分のいいたいこととか考えていることとか自分がわかったような気持ちになるんじゃないかなと思うから書くんじゃないかな。
 誰かと付き合ったり、話したりするのも、なにか話したいけど、それがなんなのかよくわからないからそうするというのがあるよね。最初からわかっていたら、話そうと思わないものな。「大人の夏休み」だって、いま「休み」と思っているけど、辿り着いたらものすごい仕事をしていたということにもなりかねないですね。ぼくは辿り着く先を怖れずに進みたいな。
 河野美砂子さんというピアニストがいて、彼女は河合さんのフルートにピアノ演奏をつけるパートナーだったりした人なんだけど、彼女が河合さんが亡くなったとき、河合さんとの思い出をたくさんブログに書き残されているんです。このブログの河合さんの追悼はぼくらの知らない素顔の河合さんがふんだんにでてきて、読んでいるととてもうれしくなるんだけどね。そのなかに、河野さんの友達が飛び降り自殺をしたらしくて、その話を河合さんに話したら、気の毒な、はーっ、そうですか、と返事をたくさんしたあと、きっと、その人は向こうに光が見えたんでしょうな、と最後にいわれたんだそうです。河野さんはその日記の終わりに、河合さんもその光が見えはったんですか、という文でしめくくっておられて、ぐっとなるんだけど……。
 ぼくは小説を書いたりするときも、やっぱり「光」が見えてるなと思うんですね。それがないと書けないといってもいいくらい。たぶんチャンキーも同じなんじゃないかな。
 河合さんの有名な言葉で、冗談交じりのものすごい至言があってね。カウンセリングのとき、深い悩みを持ってどうしようもない人との会話でのこと。「わたしはもうどうしよもないんでしょかう」「いいえ、「のぞみ」はないけど、「ひかり」なりあります」といったらしいんだよね。
 河合さん特有のユーモアなんだけど、でもほんとうにすごいことだと思うよ。この小説がうまくいくかどうかわからない。ひょっとするとダメかもしれない。でもその向こうに「光」はあるんだ。
 今度の手紙でチャンキーは「シンボル」のことについて触れていたけど、象徴の持つ力は理屈でない情動に訴えかけてくる力を持っているとぼくも思います。それは無意識から来るからなんだろうね。心の奥からやって来るものは、絵でいえばシンボル、そして文章でいえば物語なんだろうね。チャンキーがシンボルに興味を持ち、それに取り組みだしたというのは必然的な流れではないかと読んで思いました。
 ぼくのいまやっていることも話したいところだけど、思いのほか長くなったから次回以降に回すことにします。ズレる、遅れることについてもまだ書き足りないことがあります。
 チャンキーは10月が忙しくなると書いていたけど、ぼくもそろそろ次の小説に取りかかる時期に差しかかってきているので、このやり取りを始めたときよりも、精神的にゆとりがないかもしれません。でもこのやり取りをひとつのよりどころとして大事にしていきたいと思って
います。ときにはほんの数行の返信ということもあるかもしれないので、そのときはまたよろしく。 
 最近とてもおいしいうどんを食べました。そのうち機会があれば生麺をお土産にするか、いっしょに食べにいきましょう。

2007/09/27 西田俊也