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| チャンキーです
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西田さまへ。今回のメールは少しばかり間隔が空いてしまいました。こ の3週間の間で気候の変化も激しいですが、西田さんの体調はいかがでしょうか?ボクの方もなにかと忙しいかったり、ときに寝込んだり、、
とあっという間に時間がたってしまいました。
頂いたメールを1度読んでから、こうして3週間以上経ってからまた読むのもイイものです。西田さんからのメールの内容が濃いくて、すぐに言葉にするのが難しかったので、ボクにはこの寝かせる時間が必要だったかもしれません。3週間の間にいろいろと考えること、感じたことがありましたので、そのへんも盛り込んで今回も文章を書いてゆきますね。
ボクは1週間に1度、専門学校の先生をしています。デザイン科の中の「イラストレーション」というボクの授業を、1、2年あわせて50名以上の生徒が受講しています。このデザイン科というのが微妙なのですが、生徒にもいろんな人がいますし、なんせ18歳や19歳がメインですので、毎回の授業も簡単ではありません。ボクは先生としては2年目ですが、毎回の内容などは、今のボクが感じたことや思いついたことをヒントにして、授業を進めてゆくのです。ほとんどの時間は制作に使ったりしますが、ときには生徒1人1人と対話する時間を取ったりもします。
50人に向ける言葉と、1人に向ける言葉は違うわけですし、ボク自身も生徒個々の力や、持ってる世界感を知ることが大切です。創作するということは、個々で創りあげてゆくことですから、この対話という時間が必要になってくるのです。ここで、ボクに「聞く力」が必要となってきました。これはそない楽な時間ではありませんよね。友達と話すわけではありませんので、共通の話題というものが簡単に見つかるわけでもないし、ボクは先生で相手は生徒ですから、対等というわけでもない、、そんな関係の間で、個々にある「素」の部分を少しでも知りたい、、と考えてはいるのです。
河合隼雄さんは生きてる間に、とんでもない数の人の話を聞いていたのですから、、これは凄いことですよね。それこそわけのわからない悩みを散々と聞かされてきただろし、それでも河合さんはタフに生きていらして、、ボクも生徒の悩みのようなことも聞きますし、なにかしらの解決するためのアドバイスはしますが、悩みというものはそう簡単に無くすなんて出来ないことは、自分がよく分かっているのです。まさにボク自身がその悩みを抱えて生きている真っ最中なのですから。
河合さんのおっしゃった「悩みというものを、悩ましき友達にしなくて
は、、」、、心のバランスを取るということですよね。やじろべ〜のように、、それとも悩みという闇を包み込む強いこころを持つということ、、なんせその「病んだ部分」が河豚の毒のごとく、、それがあるからこそ、おいしい身があるという、、以前、チチ松村さんに言われたことで「毒の量が大切です。盛りすぎてもダメだし、少な過ぎてもおもしろくない、、」そのようなことを話してくれました。
しかし、このインターネットの世界が酷いのでしょうが、その強い毒を、ブラックボックスを開け過ぎていますよね。毒は包みこんでいるから、それを表には出さないから、毒の存在価値があるのに、今は毒ばかりを解放しすぎて、健康なおいしい身を壊しているのです。毒は内包することこそに、人は人でいられるのに、内包できずに表に出していたら、それは醜い生き物に成り下がっていきます。人は「成り上がる」よりも「成り下がっている」ほうが目立ってきているようにも感じてしまいすね。
矢沢さんの「成り上がり」は、ボクの時代ではちょっとばかり「お笑い」になっていたような気がします。ま〜サブカルと呼ばれる世代ですから、強い存在感のものを小馬鹿にして笑っていたわけです。インディーズという言葉が世にでてきたのもボクらの世代からではないでしょうか、、インディーズが徐々にバブルの中で、メジャーというものに飲み込まれてゆくのも見ていたわけですが、、思い出すコピーで「楽しくなければテレビじゃない!」というのがあります。そういう時代にボクは青春を過ごしたのです。「楽しい」は西田さんの言う「エロス」
であるわけですよね。
ボクも小さな頃からテレビっ子でした。学校から帰ってきてから寝るまで、テレビを付けていましたし、マンガかテレビか、、っていうぐらい、ワクワクして見ていたのです。「ザベストテン」なんか、当時ラジカセをテレビの前に置いて、テレビからの音声で流れてくる音楽をテープに録音していたのですから、、テレビで思い出すこともたくさんあります。ですがボクも最近ではテレビもほとんど見ていません。スポーツとかニュースとか、、それぐらいでしょうか、、誰もが思っているのでしょうが、ニュースを見てもイヤなことばかりだし、ドラマだってそう見れるものでもない、、自然とテレビを付けなくなっているように思います。「楽しくなければテレビじゃない」、、当時からですが、このコピーに嫌悪感を感じてしまうのです。
テレビでも同じく過剰な表現が増えてきていますね。これもしかたないことかもしれませんね。かわいい女の子が出てきて、さらに脱いだりするのですから、見ているボクらはそりゃ〜最初はラッキーってなものでしょうが、さきほどの毒と同じように、欲は過剰になってゆき、誰も止められなくなるわけですね。今では「楽しいものから」、「派手でウルサいもの」になってきてるのがテレビだと感じている人も多いと思います。創る人たちは誰だって一生懸命仕事してるでしょうけれど、どこかで「ねじれてしまった感」があらゆるものに感じられたりもします。 |
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先日のことですが、ボクはちんどん屋さんのアルバイトのようなことをしてきました。天下茶屋駅前で「もつ鍋1人前半額!」のチラシを歩く人に手渡していました。いろんな人が駅から出てきてボクの前を歩いてゆきます。「お仕事おつかれさまでした!おさわがせしてスミマセン!もつ鍋屋○○です!」と大きな声を上げて、チラシを渡してゆきます。
通りすがりの人に興味を持ってもらうことは、そない簡単なことではありません。チラシを配るにしても、ただポイ!とチラシを人の前に出しても駄目なのです。一瞬でもイイから、手渡しする人に「あなたに届けにきました!」という想いを見せなければ、チラシを取ってもらえません。
ボクはもう一度「宣伝」ということについて考えてみようと思いました。広く伝えること、、今の広告という手段は「洗脳させるため」のように感じてしまうのです。企業や商品の「ブランド力」を強化することで、知らず知らず個人の価値観を決まったものに押さえ込んでいく気がするのです。ただボクの仕事のイラストレーションはその「ブランド力」を強めるためのものでもあるわけで、、ここに最近ですがジレンマのようなものも感じています。なんせ、個人の価値感を狭めてゆくような今の感じでは、人の生き方の本質である「活き活きと生きること」から遠ざけてゆくわけです。
「宣伝」、、広く伝えることとは、、多様な世界の幅や深さを知らせることだと思うのです。この世界の多様な価値観を広めること、、駅前にある小さなお店のおいしさを伝えることは、世界の多様性を育むことです。個々が活き活きと生きることで、世界を耕すことができると思います。「いろんな奴が生きてる」ということを世間に広めることが宣伝である、、極端な意見かもしれませんが、今のボクはそう感じてしまうのです。
自分の時計を持つこと、、多様な世界を彩る個々の時計、、それこそが 物語ですね。
創作することで、自分を知る、、自分を耕すやすことができるのはやはり自分だけですね。ここ1年半の間、ボクは植物を観ることで、創作をしていました。いよいよここにきて、なんだか大きな空白というか、闇の中に漂っている感覚になっています。それがなぜだかわかりません。
それでも「ひかり」を感じて進みたいのですが、、、少し前に、友達の車の中でイエローマジックオーケストラの「ビハインド ザ マスク」を聞いて、遅まきながらこのユニットの凄さを感じました。それからというもの「ソリットステイトサバイバー」をよく聞いています。
リーダーである細野さんの、その頃のインタビューとか読んでいて感じたことですが、当時の細野さんは自分の音楽家としてや、ベースプレイヤーとしてのエゴを捨て、コンピューターに向かった、、というようなことが書いてありました。ボクはこのアルバムからなにか「光」というものがあることに気がつきました。細野さんは「光」が見えたのでしょうね。そのためなら自分の小さなエゴなどどこかに捨ててもイイって覚悟だったのではないか、、なんて思ったのです。今のボクが象徴やシンボルに興味があることと、勝手にですが、YMOのその時の音楽は繋がるとこがあるようにも感じます。光と闇とシンボルと物語、、繋がっているはずです。
西田さんは忙しくなるのですね。新しい物語がどんなところから始まるのか、、興味あります。ボクも11月初めから小さなところですが、個展が始まります。今のボクはどうも暗闇の中に漂ってる感じです。光はあるはずですが、見えていないようです。まあ〜これもしかたありません。植物から始まった今回の旅も終わりに近づいているのかもしれません。西田さんもどうぞお仕事がんばってください。ではまた。
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チャンキー松本 |
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