チャンキーへ第4信

 チャンキー、手紙をありがとう。
 季節はすっかり秋となったとごろか、やや冬の気配までも感じつつあ る毎日になりました。今日はチャンキーといったこともある、生駒山麓 のスリランカレストラン「ラッキーガーデン」へ、甥夫婦たちと食事にいきます。町中でも肌寒さを感じてしまうくらいだから、山の麓はもっと冷えるんのだろうなとちと心配です。
 甥はぼくよりも十五歳年下で、最近ハワイで挙式した新婚で、その奥さんといっしょにご飯を食べることにしました。ぼくは高校を卒業してから大学にほとんどいかず、十年あまりのあいだ、作家としてデビューするまで、いまでいうフリーターともニートともいえない状態でいたんだけど、甥は毎日が夏休みだったぼくの最高の遊び友達をつとめてくれたのでした。
 ぼくには子供がいないんだけど、なんとなく子育てを経験した感じがするのは、彼との時間があったからだと思ったりします。親というよりも、また遊んであげたというよりも、ぼくが遊んでもらっていたというのがほんとうのところかな。
 その子が遠距離恋愛をした末、結婚したのはうれしいことです。別に結婚なんてしようがしまいがどっちだっていいんだけど、したらやっぱりお祝いをしたくなります。先日親戚が集まっての食事会がありました。今度はぼくたちだけでささやかなお祝いということです。たぶんこれは、祝うというよりも、この物語をつくってくれた誰か知らないなにかの力に対して、ひとまずいっしょに感謝をしましょうというところでしょうか。
 甥とはここしばらくあまり付き合いもなかったのですが、結婚を機にちょくちょく会ったりやり取りすることが復活しています。甥の奥さんは、九州は小倉の人です。はるばる関西までやって来て、多少不安を感じつつ、少しずつ慣れてきたかな。

 近況はともかく、最近しばらく疎遠だった人と思わぬところでばったり再会したり、連絡をもらったりしての出会い直しがしょっちゅう起きていて、驚きです。
 なにもないときは誰とも会わないくらい静かな日常を過ごすことが多いのに、 ほんとうに毎週といっていいほど起きていて、いったいどういうことなのかと不思議です。きっとなにかいままでと違うことが起きつつあるんじゃないかと考えたりしています。こうしてチャンキーと書簡を始めたことも、その流れのなかにあるんじゃないかな。

 その再会で、以前ぼくが手伝っていたことのある小説講座の生徒さんとの偶然の遭遇もありました。ぼくが講師をしていたのは、ほぼ十年まえになります。チャンキーのように大勢の人を毎週見るというスタイルではなかったので、チャンキーの肩にかかる重さと、日々の出会いの楽しさはまるで違うのでしょうけど、河合隼雄さんがいまの教育は教えることはあっても、育てることが疎かになっているとおっしゃっていたように、ぼくも「小説の書き方など教えることはできない」といいながら、じゃあ一方にある「育てる」ことに力を注いだかというといささか答に窮するところです。当時の自分には「育てる」という視線がまるでなかったんじゃないだろうか。教えられないといったのは、結局教える能力もなければ、いっしょに育っていくこともできない自分への、エクスキューズだったんじゃないだろうかと思います。
 もう一度教壇に立つといったことは現在ではもう考えられません。でもいまの自分があのときの自分にアドバイスするなら、チャンキーがやっているように、なにかを作ろうとしている人の話をとことんよく聞いてやれよというだろうなと思います。
 なにかの事情があって書きたいと思った彼らの気持ちにもっと深くコミットしてやりたかったなという思いがあります。チャンキーのやっていることにぼくは深く同意します。
 ただ、ほんとうに人の話を聞くということは体力も精神力もいることで、下手をすると自分も乗っ取られてしまうたいへんな体験ですよね。なかなか簡単にできるもんじゃないです。それも同じようなことをしようとしているものと話すのはエゴのぶつかりあいになる気がします。そのあたりチャンキーはどうなんだろうか。

 ぼくはこの夏ある出来事に遭遇して、深く関わったがために、体を壊しました。というか、偶然にもそのことに関わってしまった日に別の理由から体を壊したのでした。そのあとなにをしてもなかなか治らない状態だったのですが、深く関わったある出来事を親しい友人に洗いざらい話したあと、きれいさっぱりよくなってしまったのです。その人に特別な癒す力があったとかではありません。ただ、その人がぼくの話を聞いたあと、そりゃ、しんどかったでしょうね、といってくれたひとことがぼくの肩に載っていた重荷をちょっと避けてくれたのでした。もし、同じ話を誰かにしていたとすれば、そんなことに関わったおまえが悪いんだとか、そういうことはよくあるんだとかいわれただけだったでしょう。ぼくもそう思っていたから極力誰にもいわずにいたんだけど。でもその人は、わがことのようにぼくの傷みを感じてくれたことがぼくにはとてもうれしいことだったのでした。
 聞くことの力、そして相手の気持ちにいっしょについて、悩みをともに生きていくという河合さんの言葉を、血肉化した瞬間に出会った貴重な経験でした。体の壊れと、その出来事は別々に起きた出来事だったのだけど、ぼくのなかでは深く結びついていたのでしょうね。

 今回偶然再会したあのときの生徒は、文章を書く仕事をしていました。ぼくはその人になにもしてやれなかったけど、ぼくのことを覚えてくれていた。
 ぼくは長い旅の途中で、たまたましばらくいっしょに居合わせた相手と、ばったりまたすれ違った感じでした。以前はぼくもいっぱしの旅行者として、あの場所にいくといいよとか、あそこは危険だよとかいってたわけですが、今度はともに同じバックパッカーとして巡り会えたわけです。だからまた別れ際、いい旅を、そんな気持ちでその人と別れました。今度はどこでどんな風に出会うのかな。楽しみです。

 最近チャンキーは植物をずっと描いているんですね。その一方でチャンキーは生徒たちの話を聞いて、何年後かに芽のでる植物の種を蒔いているというわけですね。いいね。育ちを生きているのですね。
 そうそう、テレビはほんとうにチャンキーがいうように「派手でウルサイもの」になったね。ぼくは最近花粉症に対してちゃんと向き合うため、耳鼻科に通っているんだけど、待合室にあるテレビを見なければならないのは病気を超えた拷問です。朝っぱらからなにをやっているんだということのオンパレードで、体の調子が悪くてここに来ている人たちにとっていったいなんのために必要なのか。
 最近読んだ小説のなかに、貧しいおばさんが金持ちのじいさんを世話してあげることをになるのですが、じいさんの家にはたくさんのチャンネルが見られるテレビ(ケーブルだね)があって、おばさんはとテレビ中毒だったので、こんなものに関わったらどうなるのかと心配するんだけど、実際それを見始めたら、もっと面白いものが他のチャンネルで流れているのかもしれないと思うと気になってしょうがなくなって、ついには見ること自体が苦痛になって長年のテレビ中毒から脱してしまうという挿話があった。ぼくも以前はテレビを見ながらザッピングばかりしていたから、おばさんの気持ちがよくわかった。過剰さは最後に無にいきつくんだよね。
 ただ、チャンキーのように、宣伝という形で広告的なことに関わる身としては、そのなかでどうやっていくのかというジレンマがあるよね。ぼくも多少はそのことに関与しているからわかる。
 河合さんが、相談者に、ほんとうの友情とはなんですか、と訊かれて、ほんとうの友情がなんなのかはわかりません、でもほんとうの友情と考えたときいま自分がやることはなんなのかはわかりますといったことがあってね。
 ぼくは迷ったときにこのことをよく思いだして自分に問いかけることにしている。ほんとうに近づくことはなかなかできなくても、目のまえのことに深く関わっていくことによって、その足取りにほんとうが刻まれていくんだろうな。

 ぼくのことでいえば、ぼくは恋愛を主軸に置いた小説が売れてしまったおかげで、恋愛については責任を持たなければならないと思っています。
 河合さんの言葉で驚かされたのは、恋愛は七年から八年で終わります、それにうまくいった相手ほどその後うまくいかなくなります、というようなことがあってね。この言葉にはほんとうにびっくりさせられた。ぼくは恋愛を書いているからね。恋愛というのは素晴らしいよ、幸
せになるよと直接でなくても、やはりそのように受け取れる風に書いてしまっているからね。そして世の中は恋愛と結びつけてモノを売ることに躍起だからね。ぼくの本なんか、その最たるものだ。
 love historyの最初の一作目のラストを幸せな結婚という形で終わらせたことにぼくは抵抗を持っていたけど、その抵抗はぼくの恥ずかしがり屋な一面であるだけで、恋愛をぼくは認めていた。いまもぼくは恋愛を認めるけど、河合さんのいうところの、じつはそんなものは長続きしないんだよということはよくわかっていなかった。河合さんがいおうとしていたことを受けてぼくがわかったことを、ぼくは今後ちゃんと物語にしていかなきゃいけないと思っている。広く伝えられる立場にいるからこそできることをぼくなりにやっていかなければと。

 チンドンを経験したというチャンキーだけど、現在チャンキーはあらゆるところでマスとミニを両方持っているということだね。どちらも大切だ。いいバランスだ。ぼくもチラシ配りを昔アルバイトでやったことがある。そのときの自分はただ時給が欲しくてやっているだけだった。そんなんじゃ誰も受け取ってくれないね。でもそのことにいちいち腹を立てていた。世間が嫌いだったね。仕方ない、あのときの自分はそうでもしなければ立ってられないほどひ弱な土台にいたんだ。


 アルバイト時代に忘れられない言葉があってね。ぼくらは五時まで仕事だったんだけど、早めにやるべきことが終わったんだよね。そうしたらバイト先の人が、こいつら五時まで雇ってるんやから、なんでもエエから仕事つくって使わんと損やぞ、といったんだ。あと、領収書を書かされたとき、お金を書くところはあけといてくれていいから、といわれれた。そのいいかたが、なにかイヤな感じでね。このふたつの出来事をいま書くと、使う側の事情がはっきりと見えるんだけど、当時はこの発言がすべての使う側の理屈に見えてね。汚くてイヤだった。そのなかでいいように使い回されることになる自分を守りたかった。あの頃のぼくはナイーブだったんだなと他人のようにあの頃の自分を思いだせるけれど。

 そうそう、ちょうどその頃だ、ぼくがアルバイトで傷ついていた頃に、細野さんのYMOが始まった。ぼくは彼らの音楽を聞いたとき新しい未来が始まる予感に包まれたことをいまもリアルに覚えている。ちょうどYMOのソリッドステートサバイバーと村上春樹さんの「風の歌を聴け」がほぼ同時に市場にでまわったんだ。このふたつはいまもぼくにとっては大事な精神的な支柱になっている。
 最近また復活があり、メディアにYMOがよくでてくるけど、チャンキーのいってる「ビハインド・ザ・マスク」のことを教授(坂本龍一)が、マイケル・ジャクソンがやりたいといってきたんだけど、全部の権利をくれといったから断ったんだ、もし受けていたら、いまごろ
は世界中にいくつも別荘をもっていたでしょうね、と。
 これは笑い話の発言なんだろうけど、でも教授はほんとうのところはどう思っているんだろうかと思ったよ。引き受けておくべきだったのか、それとも引き受けなくてよかったと思っているのか。わざわざいうということは、引き受けてりゃよかったなという気持ちがちょっとはあるんだろうね。自分でわざわざいってるんだから。権利を渡さなかったことで、教授はなにを得たのだろう。ぼくは渡してもよかったんじゃないかと思うんだけどね。教授は当時怖かったんじゃないのかな。いまの教授なら、渡すと思うんだけど。どうだろうか。

 闇を自分のなかに持ち、そのことを失敗とともにきちんと語れる人が大人なのだろうとぼくは思う。唐突に大人という言葉をだしたのは、ぼくにとっての最近の二大テーマが、「初恋のやり直し」と「大人になること」となるからなんだ。
 前者は後者に向かうための手続きなので、「大人になること」に集約されるかな。以前「やんぐとれいん」という小説で、「大人にならなきゃ」と主人公たちのつぶやきのその先をやろうとしている。
 でも正直ほんとうに大変だ。読む人に楽しんでもらいながら、深く感じて欲しいと欲張りに思ってしまうものだから。けど、恋愛に対する責任とともに、大人になることは、ぼくのようにずっとモラトリアムを生きてきたものが次の世代に語る必要のある責任だと思っている。引き受けていかなきゃな。
 チャンキーは「大人」をどのように考えている? もうチャンキーは大人ですか? 大きな言葉で訊くけど、次は「大人の夏休み」のその「大人」とはなんなのかをちょっと頭に置きながら語ってみないか?

 チャンキーからの便りを楽しみに待っている。

2007.10.23 西田俊也