チャンキー、こんにちは。
先日はぼくの友達のやっている奈良のフレンチレストランにチャンキーの絵を貸してくれてありがとう。またそのために奈良まで足を運んでくれて久しぶりに会えてよかったです。そのときもおよそ六時間ほど話しました。でもいつものように話し足りない感じが残っています。今日はそこでの話を交えながら前回いただいた手紙の内容から考えたことなどを書くことにします。
前回は去年の大晦日に書いたわけですが、あれから早いもので二ヶ月も過ぎて、外は春の光に満ち始めています。ぼくは小説を書くことにようやくひと段落をつけました。完成というわけではないのですが、このあと第二試合をするのか、あるいは反省会をするだけなのか、今度は編集者の意見を聞きながら決めていくことになります。
小説を書いていた時間はほぼ四ヶ月でした。最初の頃は小説のなかに入り込むのに時間がかかり朝起きてもだらだらとやっていたのが、時間が経つにつれて朝起きるのも早くなり気がつくといつの間にか決まった時間に小説を書いているという規則的な生活になりました。
蚕が繭を作って自分を包むようにぼくは言葉という糸で物語という繭をつくり、自分を包み込んでいったような日々でした。そしていま、ぼくは繭からでて羽を持てたのだろうか。どうだろうか。それを羽といっていいのかわからないのですが、これまでなかった羽のようなものが生えたという感触はあるのですけど。
でもそれよりも繭のなかにいた時間がぼくの体や心に刻まれていることがぼくにとっては大きいようです。これは誰にも奪えない自分だけのものです。いいかえればそれがぼくなのだと思います。そう考えれば、たとえ羽がうまく開かなくても、開かない自分をきちんと生きさえすれば、それは開いたことと同じことであるのでしょうね。
先日チャンキーと話していたとき、共通の友人であるAさんが長丁場となる仕事を今回引き受けた話題がでましたね。Aさんは新しい仕事以外にも他の仕事を引き受けていくべきかどうかと悩んでいるようでした。新しい仕事はやりがいのある大きなもののようですが、これまでの仕事と少し傾向が違うところもあって、それにばかり打ち込んで自分のタッチが変わるのではないかと心配されているようでした。そこでぼくらはチャンスなのだから新しい仕事だけをやるべきだとほぼ意見が一致しましたね。
その後ひとりになって考えたのです。Aさんが悩んでいるのは新しい仕事、これまでの仕事といった選択でなく、これから始まることに不安な気持ちでいるということなんだ、ぼくはその不安な気持ちをどこまで理解してあげられるかが大切だったんじゃないかなと思いました。そのことで自ずからAさんの選択は決まってくるのでしょうね。
もしぼくがAさんに対して話す機会があれば、不安だよね、といえればとだけ思います。それは簡単なことのようでたいへんむずかしいことです。不安だよね、でも……とぼくはいってしまいたくなります。「でも……」をぼくはいわずにいれたらいいのですがなかなかできません。
人の不安に寄り添うことはむずかしいですね。おそらくAさんのなかにも、ぼくの「でも……」があるのでしょう。この「でも……」はどこからくるのか。河合隼雄さんは、「でも……」のところを隠さずにきちんと見ていた人だったのでしょう。そして「でも……」の「……」に流されて常識やあらねばならないというものに落ち着かず、不安だけをきちんと見つめていかれたのでしょう。不安を見つめていけば、「でも……」が変化するのでしょうね。不安を解消するために選択するのでなく、不安をどこまで生きられるかなのかなとも思いました。それはいまの自分のことに照らし合わせて考えてもそうなのでしょう。
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